学長 香津子の部屋PRESIDENT'S BLOG

佐賀女子短期大学学長 田口 香津子

学長である私は、佐賀女子短期大学の一番のファンと自称しています。
高校生や保護者の皆様、地域の皆様、自治体や企業団体の皆様に、「佐賀女子短期大学長のとっておきニュース」を盛りだくさんに発信 していきたいと願っていましたら、「香津子の部屋」を創っていただけることになりました。
旭学園の人間教育「佐賀女子短期大学」から、時間と空間とを縦横無尽に駆け巡るメッセージを届けます。

2021年01月08日

新年に信念の挨拶を

 

新年、明けましておめでとうございます。

2021年最初の「香津子の部屋」です。真面目な想いを書かせてもらいます。

 

少し長いのですが、1946年1月制定の日本国憲法の前文を掲げます。

 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

敗戦後間もなく、国民の貧困が蔓延している時代に草稿された、この憲法の前文を読んで心が震えます。数多の犠牲となった命への深い思いに根差されたものであり、生き残った人も先の見えない不安な渦中にありながら、この憲法をもって、戦争が二度と起こらない平和な未来を子孫に託そうとする、そんな「人間の尊厳」を見る思いです。

 戦後75年が経ち、憲法制定時に思い描かれた未来の姿へと日本は変わったでしょうか。残念ながら、他国との戦争はしないまでも、国内外の課題は山積しています。世界のパワーバランスの中で、日本国憲法第九条をめぐって日本も揺れています。様々な議論ができる自由こそが民主主義です。

 現実の社会はいつの時代でも、闇の中にどれだけの光を浮かび上がらせるかの戦いであって、光がベースにはなっていないと思います。真善美だけ存在する幸福な世界は現実にはありません。物事が順調な時は、自分を中心に世界が回っているような錯覚を持ちますが、上手くいかなくて心許ない時には、他力本願、神頼みをしてしまう。誰にでもあることです。

 ところが、先の見通しがつかず不安が重なり、疲弊が長期化すると、思考停止をさせてくれるほどの強い言動の人物に心酔し、知らぬ間にマインドコントロールされる危険が高まります。つかの間ではありますが、絶対的な安心感、高揚感が得られるのでしょう。ナチスのヒットラーなど、そこは歴史が証明してくれています。

 今は不安が増大するときです。だからこそ、一人一人に、自ら思考し、判断し、表現する力が、必要と感じます。

 「それは譲れない」と声高に主張しなければいけない場面もあるでしょう。孤立するかもしれない勇気が要ることですが、教育は必要な時にそれができる人を育てなければと思います。

 けれど、一方ではこうも思います。「おはよう」という挨拶、「大丈夫?」という声かけ、「ありがとう」という笑顔、「良いと思う」という賛同、「がんばろう」という応援など、なにげない日常の温かな関わりの中で、憲法前文の求める平和な世界が具現化されていると感じることもあるのです。佐賀女子短期大学の、「順和・礼譲・敬愛・奉仕」の学園訓にも、「女性像」にも、憲法の精神が満ち溢れていると感じます。

 今生きている社会は、真面目に考えると矛盾だらけです。しかし、教育現場が理想の幸せを求めようとしなくてどうするのでしょう。理想を語るだけでなく、理想に近づくための言動を現実に未来の大人たちに見せなくてどうするのでしょう。きれいごとと言われようが、矛盾だらけの現実に黙って順応することを教えるのが教育とは到底思えません。

 民主主義はあたりまえではありません。維持しようと努力しなければ、たやすく崩れ去ってしまいます。教育の現場が民主的でなければ、学生に民主主義を伝えることは出来ない。私は、そこにこだわりを持っています。

 

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